書店員&詩人・花本武(社長)と、作家・山崎ナオコーラ(副社長)の二名で構成された、稀有な組み合わせの夫婦ユニット「ソーダ書房」による初連載。社長による「詩とエッセイ」、副社長の「解説」で交互に綴る、書店や作家業、育児のことetc.
2018/12/03 Mon.
「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」 連載第2回 山崎ナオコーラ(ソーダ書房)
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2018/12/03 Mon.
「友情もあるねぇ。〜書店員と作家とこどもとみんなたち〜」 連載第2回 山崎ナオコーラ(ソーダ書房)
書店員&詩人・花本武(社長)と、作家・山崎ナオコーラ(副社長)の二名で構成された、稀有な組み合わせの夫婦ユニット「ソーダ書房」による初連載。社長による「詩とエッセイ」、副社長の「解説」で交互に綴る、書店や作家業、育児のことetc.
「書店員」と「作家」という組み合わせの夫婦は少ない。
そこを読者の方に面白がってもらえるように本を作れないか、と考えた。
これから、その路線で育児にまつわるエッセイを書いていく。
多くの読者が、書店の仕事を知らない。だが、「書店」という存在に好感を抱いている人はたくさんいる、たぶん。私は14年ほど作家稼業を営んできて、「みんな、お金は使わないが、書店には行っているな。行っていない人でも、書店を嫌ってはいないな。書店員を『いい人』だと思っているな」とじわじわ感じてきた。
なぜ、書店員は好かれがちかというと、実直そうだからではないか。編集者や作家と違ってちゃらちゃらしたイメージがない(いや、ほとんどの編集者と作家はちゃらちゃらしていないが)(まあ、ちゃらちゃらした編集者もいるが)。
とにかく、書店員はマスコミに関係はしているが「お店屋さん」だし、毎日同じ時間にシャッターを開け、地道に肉体労働をこなし、お給料は少なめで、素朴な感じがする。
実際に、夫は「いい人」で、且つ、「いい書店員」だ。
実直な性格で、素朴な雰囲気がある。
しかも、夫が働いているのは大手チェーン店ではなく、いわゆる「町の本屋さん」だ。
個人経営の書店に、まったく役職のない平社員として勤めている。
毎日、朝の4時に起きて出社する。入荷した雑誌を棚に並べ、世界を作るのだ。
ただ、周りの人との雑談の中で、「夫は、いい書店員なんですよ」「夫は、いい仕事をしているんです」という話をすると、よく、
「いい書店員ってなんですか?」
「書店の仕事に、いい、悪い、があるんですか?」
といったことを返される。
新聞のインタビュー(家族について話す記事だった)を受けたときに、
「書店員さんによって仕事が違うんですか? 書店の仕事って、本を並べて売るだけじゃないんですか? 私、あまり書店に行っていないので、イメージが湧かなくて……」
新聞記者さんにも聞かれた。
そうか。新聞記者さんでも知らない感じなのか。みんな、なんとなく「書店」「書店員」に良いイメージを抱いてくれながらも、仕事内容は知らないのだな。
書店の仕事は奥が深い。
「早起きはつらいけれど、雑誌を並べるのは世界を作っているみたいで面白い」というのは、数年前の配置換えで雑誌担当になったときに夫がもらした感想だ。
書店の仕事は、大きな世界に繋がっている。本の仕入れ方、並べ方、売り方で、世界を編集する。
そして、今はいい時代だ。インターネット書店や電子書籍が発達し、書店の多様な在り方が見えてきた。今は転換期だ。書店文化の新しい時代の幕開けだ。
これから新しい書店ビジネスを開花させる書店員も現れるかもしれない。取次さんからの配本を置くだけではない。棚は書店員が作っている。インターネットも電子書籍もオンライン書店も敵ではない。書店員は本の世界を広げる。書店文化はまだまだ続く。
まあ、仕事の内容や面白さについては、夫が直接に書いてくれるだろうからこれぐらいにしておく。
(ちなみに、夫が「いい書店員」だということは、周囲の作家の評判や、出版社さんたちの噂話から聞いたことなので、身内の欲目ということではなくて、本当だと思う)。
さて、今回のこのエッセイは、夫ありきの仕事だ。
夫と親しい編集者さんから最初の企画書をいただいた。
経緯を想像するに、夫は詩を書いたりフリーペーパーを作ったりときどき雑誌に文章を載せたりしているので、「書店員としてだけでなく、文章を書いたり本を作ったりもしてみたいという欲があるらしい」と夫と親しい編集者さんが察し、夫の本を作ることを考えてくださって、「奥さんが変な名前の作家らしいから、その名前を利用したら本が売れるんじゃないか?」と思いつかれたのではないだろうか。
しかし、残念ながら、私の名前にはもう利用価値がないのだった。
私の著書は売れていない。正直なところ、デビュー作は驚くほど売れた。数字を出すのはいやらしいことだが、もう14年も前のことなので書くと、33万部と新聞の広告で見た。広告なので多少の水増しはあるかもしれないが、すごく乖離しているということはないだろう。というのは、当時、26歳の地味な会社員で、月給16万円だった私の貯金はあっという間に膨れた。仕事の依頼をたくさんもらい、インタビューもいろいろと受け、街で声をかけられることもあり、少ししてから専業作家となり、生活がガラリと変わった。文庫になってからも売れて、その本はもう40刷りを超えている。
だが、そのあと、「売れる本」を私は書けていない。
どちらかというと、たくさん書いている方だと思う。14年の間に、小説は、19冊、エッセイは4冊刊行している。
読んでくださる方がいて、仕事の依頼をくれる方がいるから、続けることができているわけで、私はとても恵まれている。
だが、「たくさん売れる」「評価される」といったこととは無縁で、その代わり悪口はよく言われ、「バッシングを受けることが私のメイン仕事」だと感じている。
私が今いるのは、数千部の世界だ。
このエッセイを書籍化していただく際も5000部くらいだろう。
世間の移り変わりは早く、私の著書を一冊も置いていない書店や図書館も見かけるようになった。
けれども、夫は「いい書店員」なので、やっぱりいいことを言う。
「『売れる本』も必要だけれど、多様性の肯定のために、少部数の本も書店に必要だ」
このセリフは私の心に響き、糧にしている。
確かに、そうだ。
もしも、多くの人に支持される本のみで書店の棚が構成されるようになったら、息苦しい社会になるだろう。どんなに素晴らしい本でも、その一冊だけで世界を作ってはいけない。すごく素敵なベストセラーでも、書店をその本一色にすると、つらい気持ちになるマイノリティーの人がきっといる。いろいろな本があっていいんだ、という社会を作るために、少部数の本を作る作家も出版社も必死になっていいのだ。書店も、いろいろな本を置こうと頑張ってくれる。おそらく、書店の棚は、雑多であることが、一番大事なのだ。
私はずっと、たくさん売れないと出版社に悪いと思ってきた。けれども、最近は、たとえ少部数でも、堂々と出版社と渡り合おうと思うようになった。少部数でも、きちんと売り切れば、赤字にはならない(システムがよくわからないが、どうもそうらしい)。編集者さんも、たとえ売れなくても、「いい本ができた」と感じることの方が嬉しいはずだ。
売れなくても、評価されなくても、こつこつ仕事を続ければいい。
とはいえ、私は細々と生きていきたいわけではない。
作品が英語に翻訳されるのが夢だし、『源氏物語』の現代語訳をしたいし、もっと面白い小説を書きたい。
世界的な作家になりたい。
ノーベル文学賞とかイグノーベル文学賞とか受賞する作品を書きたい。
野心はいろいろある。
だから、いそがしいのだ。
たぶん、そう思われていないのだろうと推察する。
依頼をくださった編集者さんも、「あの奥さんは、去年、育児のエッセイの本を出して、まあまあ売れたみたいだから、『今は子どもに興味があります』という感じで生きているのだろう、育児の合間に趣味っぽく文章を書いているのだろうし、『育児の話を書いてください』ということで引き受けるだろう」と思って依頼を持ってきた雰囲気があった。
そんなことはまったくないのだ。
私は、二十四時間小説家だ。たとえ書けていなくても、子どもと遊んでいても、常に作家のつもりだ。
「小説の仕事は、今が勝負だ」と思って必死に生きている。そして、現在は依頼をもらえているけれども、プロフィールに書ける経歴がまったくない私への依頼は、あと数年でゼロになるかもしれない、と危惧を抱いている。まだ期待をしてもらえている、今が頑張りどきだ。
それに、書きたいことがいっぱいある。小説のアイデアもたくさん持っている。それなのに、なぜか書けないだけなのだ。だらだらしているのか、悩んでいるのか、とにかく、今年はなかなか進まなかった。
すると、貯金が目減りしていく。
去年は育児エッセイの刊行があり小説も二つ書いたので収入が例年よりも増えて、それなのに今年は全然書けていなくてガクンと下がったものだから、9月になって驚いたのは税金と保育料だ。健康保険や市民税や保育園の料金は、収入によって変わるので、前年に収入が多いと、額がはね上がる。そのことはなんとなくは頭にあったのだが、ぼんやりしていて、計画を立てていなかった。
文章は金のために書くものではないが、金のことが気になるから仕事欲が湧くという面はある。
だからやっぱり、金というものが世界にあって良かった。
金欠でなかったら、このエッセイを書く意欲もちゃんと湧いたかどうか自信がない。
金は言葉と同じように、他人と自分を繋げてくれる素敵なコミュニケーションツールだ。
そういうわけで、暇ではないが、金もないので、エッセイも頑張ることにした。
書店員は、社会的に重要な職業で、素晴らしい仕事だが、給料は結構低い。
私は収入が減ったが、それでも夫の倍以上はあるかもしれない。
私はブスなので、結婚においては、金を稼ぐところに自分の価値があると思っている。
私が仕事を頑張るのは、子どもや夫の幸福に繋がるのではないか。
仕事を頑張るのも育児なんじゃないですか? よく知らないですが。
あと、このエッセイで気になるのは、プライバシーに関することだ。
冒頭に書いたが、私はデビュー時は地味な会社員で、作家になって急に人目につく場所に出た感じになった。そして、名前が変なこと、デビュー作のタイトルがエロいこと(内容はそうでもない)、顔写真がブスなこと、賞の候補に挙げられては落とされ続けることから、「悪口を言ってもいい作家」というイメージを世間に持たれたのだと思う。また、十年くらい前は、まだネットリテラシーが浸透していなかった。そのため、過激な誹謗中傷が、インターネット上にたくさんあふれた。
私は自分を「ブス」と書いているが、これは鏡を見て思ったことではなく、インターネットを見て思ったことだ。インターネットで私の名前を検索すると、第二検索ワードが「ブス」になっていた。
(悪口は、現在では、ほぼなくなった。私がひとつひとつ消してもらった。それと、ネットリテラシーが世間に浸透した。だが、良い意味でも悪い意味でも私という作家が注目されなくなったという理由が大きいかもしれない)。
そういう経験があるので、バッシングが夫や子どもに及ぶことが心配でたまらない。
私は基本的に裏に引っ込んで作業をしているだが、書店員はいつも店という表舞台にいる。会いに行こうと思えば会いに行けてしまう。もしも、変わった人が夫に会いに行ってしまったらどうしよう。
私のせいで、子どもや夫に被害があったらどうしよう、と怖い。
編集者さんは、「旦那さんとエッセイを書くこと、僕の周りではみんな好意的ですよ」と言っていたが、そりゃあ、身近な人は好意的に決まっている。悪口は、遠くの人が言うものだ。しかも、夫の近くにいる人は、夫のことが好きだ。
夫は私と違って、人当たりがものすごく良い。夫は、いわゆる「優しい」感じのキャラクターで、大抵の人から好かれている。
だが、私のことは、多くの人が嫌っている。それに、変わった人は、変な風に私を気にしている。どう思われるかわからない。
ただ、これまでの経験上、書籍の場合は大丈夫な気がする。
誹謗中傷は、インターネットや新聞記事、雑誌などから起こる。
単著を購入してまでおかしな誹謗中傷をする人はいないのだ。
(もちろん、「つまらない」などの作品批判はある。でも、おかしな誹謗中傷はない)。
だから、連載は慎重に行い、書籍は大胆に行きたい、と企んでいる。
ともかくも、家族に危害が加えられないのが、何よりも大事だ。
「この媒体の読者はいい人たちだ」という話を聞いたので、それを信じて、まずは始めたい。
私は仕事のことでいろいろと悩みを抱えているが、人生の時期として、今が幸福な時期か、不幸な時期かというと、確実に幸福な時期だと思う。
理由は2歳の子どもだ。
こんなに可愛い時期が、永遠に続くとは思えない。
赤ちゃん時代に、「魔の2歳児」「テリブル・ツー」「イヤイヤ期」といった言葉を度々耳にして、「2歳児の育児は大変なんだろうなあ」と覚悟していたのだが、実際に2歳になったら、2歳児はものすごく可愛いとわかった。言葉を喋り始めて、毎日が新鮮だ。自立心旺盛で反抗は確かに度々あるが、反抗も可愛い。
私たちの住むマンションは川の近くにあり、毎朝、保育園まで川沿いを歩いて向かう。朝は少し焦っているが、帰りはかなりのんびりと歩く。川には、カルガモや亀やトンボや鷺、たまにカワセミがいる。春は桜が咲き乱れ、夏は水遊び、秋は紅葉、冬になると食べ物を求める鳥がたくさん見られる。
子どもの送り迎えはすべて私が担当している。
「送り迎えは全部私がやってあげているんだ。そこを忘れないように」
と恩着せがましく夫に向かって言うときもあるが、内心では「送り迎えできない夫よ、かわいそうに」と思っている。
川沿いを2歳児と歩いていると、「時間よ、止まれ」という気持ちが湧いてくる。
こんな幸せはきっと一時的なものだろう。おばあさんになってこの散歩を思い出したら、涙が出てくる気がする。
今が、人生最高のときなのではないか。
<プロフィール>
●ソーダ書房(そーだしょぼう)
書店員、花本 武(社長)と作家、山崎ナオコーラ(副社長)以上二名で構成する組織。本にまつわる諸々の活動を行う予定です。
●花本 武(はなもと たけし)
1977年東京生まれ。都内某書店勤務のかたわら詩作やそれを朗読する活動をたまに行う。一児の父。
●山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
作家。1978年生まれ。性別非公表。2歳児と夫と東京の片隅で暮らす。著書に、小説『美しい距離』『偽姉妹』、エッセイ『母ではなくて、親になる』など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
挿画:ちえちひろ